【ルーツVol.11】職業:経営者、株式会社美販代表|尾寅将夫

投稿者: | 2019年8月23日

弊社がアライアンスを結ばせていただいている株式会社美販様は、段ボールケース及び美粧ケースを中心に企画・製造・販売を行うパッケージのトータルプランナー企業です。時代の変化とともに同業他社が淘汰されていく中で、いかにして会社を存続させ、さらに業績を伸ばし続けてきたのか。これまでの歩み、そして今後の展望まで、代表の尾寅将夫さんにお話を伺いました。

 

「こんな難しい仕事はできない」
外注さんに発注を断られたことが、いまの美販をつくるキッカケに。

松本(以下:松):

会社は、創業者であるお父様から引き継がれたそうですね。当初から製造と販売、どちらもされていたんですか?

 

尾寅(以下:尾):

創業当時は仕入れて販売するのみで、製造はしていなかったんです。「美販」という社名も、販売の会社だったことが由来です。私が入社した頃には、製造も少々行うようになっていました。切ったり、貼り付けたりする程度でしたけれど。

 

松:本格的に製造を手がけるようになったキッカケが何かあったんですか?

 

尾:バブルが弾ける少し前、1990(平成2)年くらいでしょうか。その頃は販売したい商品を設計し、サンプルを作るところまでは社内で作業して、実際の製造は加工業者さん、つまり仕入先さんにお願いしていたんです。ところが、「美販さんからのオーダーは加工難度が高いし、細かいし、これ以上対応できません。もう勘弁してください」と言われてしまって。

それから、自社で製造もできるように機械を1台ずつ増やしていったんです。5年後の1995(平成7)年には設計する頻度も商品数もずいぶん増えていました。その頃は、4月にカタログを販売するっていうお客様が多くて、2~3月は作業が終わらず、設計部屋から出られない、気がついたら夜中だった、なんてこともしばしば。それで、当時では珍しかったCAD(Computer Aided Designの略。コンピューターを使って設計すること、またはそのためのシステムやソフトなど)を導入したんです。そうしたら効率がグッと上がって、設計能力も向上していきました。現在の「モノを設計する」っていう素地ができたのがこの頃ですね。

 

 

お客様が教えてくれた
自分、そして会社との向き合い方

松:製造をスタートしてから、取引するお客様も変わっていったんでしょうか?

 

尾:いえ、その時はそれほど変わりませんでした。会社はまだまだ創業者である父のお客様からいただく受注で成り立っていましたので。だから2001(平成13)年、36歳の時に私が社長を引き継いだものの、不安しかなかった。言ってみれば父の“カリスマ性”で取ってきた仕事が全ての会社なのに、私が社長になって一体どうしたらいいんだろう、って。自分にも全く自信がなかったですしね。

 

さらに会社の強みすら分かっていないから、商品のアピールもまともにできない。お客様のところへ伺って、「今度の商品を包むパッケージを持ってきました……」とまでは言うものの、その後が続かない(笑)。

 

松:いまのお姿からは想像できないですね、すみません(笑)。

 

尾:本当ですよ(笑)。そのうちに業を煮やしたとあるお客様からお声をかけていただきましてね。「君な、まじめなのは良いけれど、それだけじゃアカン。これから俺について来い!」って。仕事をくださるだけじゃなく、お酒の場所、ゴルフなどなど色々な遊びに私を連れ回してくれたんです。その頃は独身だったので、とにかく言われるがまま、頑張ってついていきました。

 

そしていつも「私、自信がないんです」と言う度に、そのお客様はこうおっしゃってくださった。「君な、万人に好かれようと思っているやろ? そうじゃなくていいねん。こんだけ世の中にはたくさんの人がいるんだから、必ず自分を好きになってくれる人たちはいる。そこに集中していくねん」と。最初はその言葉がなかなか腑に落ちなかったんですけれど、しばらくしたある時「あれ? もしかすると、この領域の人に私は気に入ってもらえるのかもしれない」と気づいた出来事があって。そうすると、小さな自信がついて「無理をしてしがみつくのはやめよう」と思えたんですよね。

 

 

松:「しがみつくのをやめる」ですか。なるほど。

 

尾:はい。それまではいろんな人にモテたいから、相手に合わせるようなことばかりして「しがみついて」いたんです。でも、人によって自分を変えるのにすっかり疲れてしまった。誰だって自分を持っていない人に魅力なんか感じませんよね。「私はこういう人間で、そんな私を好きになってくれる人だけ来てくれたらいい」。そう思えるようになりました。

 

同時に仕事も同じなんだ、ということが分かってきて。「誰にでも受け入れてもらいたい」じゃなくて、うちを必要としてくれるお客様にきちんと応えられる会社になろう、と。そう考えると、知識やノウハウ、技術を高めることを“しがみつく努力”じゃなくて、“選ばれる努力”と捉えられるようになってきた。選ばれるためには自分を磨かなきゃいけない。ダイエット、本を読む、設計能力を身につけることなど、やるべきことはいっぱいある。それ以来、仕事でもプライベートでも「自分磨き」を始めたんです。

 

松:お客様との出会いが尾寅さんご自身、そして会社をも変えていくことになったんですね。

 

思いがけず見つかった病気が
生かされている意味を考えるキッカケに

松:自分磨きを始めて、「何かが変わってきたな」という実感は持てたのですか?

 

尾:同じ頃、自分の人生観が変わった経験がもうひとつあって。2003(平成15)年に手術が必要な病気が見つかったんです。入院した病院で、同じ病気と向き合うたくさんの患者さんと出会いました。

 

患者さんとふれあう中で、自然に私が生きている意味、生かされている意味って何なんだろうなぁって考えるようになった。もしかしたら、いま私が生きているのは、まだやること、やり残していることがあるからなのかもしれない、と。神様か何かは分からないけれど、やらなくちゃいけないことがあるから生かされているんだろうな、と思うようになりました。

 

松:なるほど。大きな気づきがあったんですね。

 

尾:はい。退院後は仕事だけじゃなく、育児にも熱心に取り組みました。当時小学生だった子ども2人と暮らしていたので。2人とも私学に通い、留学もしましたから、当時、私の稼ぎは全部子どもに消えていきましたけれど(笑)。私なりに「こんなふうに育ってほしい」という思いを胸に、ただ一生懸命子育てしていたなぁと記憶しています。

 

結果的に、いま息子は弊社に入社し、活躍してくれています。大学卒業後、いったん大手企業に就職したんですが、私がうちの会社に誘ったんです。もしも息子が「一生サラリーマンで頑張りたい」と思っているならばその気持ちを尊重するけれど、経営に少しでも興味があるなら、小さいけれどうちの会社で経営陣としてチャレンジした方が世界が広がるんじゃないか、と思っていたので。ただ、誘った時「3期分の決算書、入社前に見せてくれる?」って言われましたけれど(笑)

 

 

松:なんと立派に育っていらっしゃる!(笑) 素晴らしいですね。

 

会社が生き残っている理由、
それこそが「強み」なんだと気づいた

松:仕事面での「自分磨き」はどのように進めていかれたんですか?

 

尾:まず「こういう会社、こういう人になりたいな」っていう目標を設定しました。それから、本を読んだり、セミナーに参加して、色々なキーワードを自分なりに拾っていったんですね。その中のひとつで印象に残っているのが「いま、御社が残っているってことは、会社を必要としているお客様がいるということ。だからこそ生き残っている。その事実をもう一度、考え直してみてください」と言われたこと。

 

  

 

その時点で、うちはもう30年やっている会社だった。世間で10年続く会社は6%、30年続くのは0.025%っていう数字もある中、30年続いてきた。だったら、絶対に残っている理由があるはずなんですよね。「じゃあ残っている理由って何だろう、うちの強みはどこにあるんだろう」って、徹底的に考えました。

 

考え抜いた結果、「一番の要因は『設計』じゃないのか?」と気がついて。設計士がいるわけじゃなく、お客様に接する営業担当者が設計できる環境。これって提案するスピードも柔軟性もあるんじゃないのか、と。実際にお客様にも聞いてみました、「うちの強みって何ですかね?」って。そうしたら「美販さんは、営業マンが設計もしてくれるから、圧倒的に対応が早くて助かってます」とおっしゃってくださった。「ああ、本当にそうだった!」って、嬉しい確信でした。

 

 

松:ここでもお客様の言葉から気づきをもらえたんですね。

 

尾:そうなんです。いつもお客様に助けてもらっています。だからかな、私には「売る」っていう感覚がないんです。お客様に「買ってもらう」感覚。お客様の役に立つことでしか自分は存在しない、と考えているんです。

 

たとえば、とにかく安く買いたい人にとっては、安い価格でしかお役に立てない。ただ残念ながらうちの会社は「おっしゃるとおりに安くします」という対応は企業規模的にできないので、この方はうちにとってお客様ではない可能性が高い。

 

ただ、「商品をもっと割れにくく梱包したい」「もっと風合いの良いパッケージにして売上を上げたい」「小ロットで、型代を抑えてパッケージを作りたい」など、お客様それぞれの願いや思いにはお応えできる。そこには胸を張ってお役に立てる。もちろん価格も大切にしながら、です。

 

「何でもできます、やります」っていうのは「何もできない」と同じ。「うちはここだけは負けない、お手伝いできます」って、しっかりアピールしていこうと。それを徹底的に続けていたら、これまでの30年以上にきっと会社は成長できる。うちを必要としてくださるお客様にしっかり商品を提供できる。ニッチでもいい。ニッチだからこそいい。まだまだ、気づけていないニーズはきっとあるはずだから。そんな風に私の中での線引きが明確になっていきました。

 

松:強みを意識せずとも続いてこられた30年。真の強みも顧客も明確になったなら、ニッチなマーケット、でもきっと会社を成長させるには十分なほどのマーケットがそこにあるということですね。

 

必要としてくれる人に寄り添う
「縁の下の力持ち」に

松:自分の会社がどのお客様にとって役に立てるのか、そして強みもクリアになってきた。そこから、先ほどおっしゃっていた、「自分が生かされている理由」「やり残している、やらなくちゃいけないこと」が見えてきたという感じでしょうか?

 

尾:やり残したことがある、なんて言うと大層に聞こえますけれど、まず父から引き継いだこの会社を次につなげなくては、とは思いました。ただ息子にバトンを渡す、というだけではなくて、会社には若い従業員もいるし、人をしっかり育てるのは社長としての使命だと。

 

松:2012(平成24)年から新卒採用を始められて、その後はインターンシップ、海外研修生の受け入れなど、人材育成に力を入れていらっしゃることにもつながっていますか?

 

尾:そうですね。現在もベトナム人の研修生が来てくれています。ハノイで面接と家庭訪問をして。ご両親には「3年間、お預かりさせていただきます」と挨拶もさせてもらいました。ただ労働力として預かって返すだけ、は簡単なことなんです。でも技術だけでなく日本語だったり、挨拶などのマナーも手間ひまかけて教えてあげれば、ベトナムに戻って就職した時に給料が倍以上になることだってある。預かった以上は、責任を持ってできる限りのことをしてあげたいと思っています。

 

私は子どもの教育プログラムや仕事を学ぶイベントなど、社外でも声をかけられたら参加するようにしています。「尾寅さんにお願いしたい」と言ってくれたんだから、自分の身の丈に合った中で役に立ちたいんですよね。どちらかというと、私は先頭に立って「この指とまれ」っていうタイプではないんです。自ら発信するよりも、「何かをやりたい」と発信している人に共感したら、その人をサポートしてあげたい、と思うタイプ。

 

 

松:なるほど。それって御社の事業にもリンクするところがありますよね。お客様の「こんなふうにできたら」という願いに対して「じゃあ、こうしてみたら?」「よし、手伝いますよ」と応えてくださる。

 

尾:そう、商品を売ることが最終目標じゃないんです。お客様の希望にしっかり応えられることがゴール。だから、会社の“縁の下の力持ち”っていうスタンスと私の生き方はリンクしているかもしれません。いま、松本さんとお話していたらそんなふうに思えてきました。

 

「社長」は大勢いなくていい。
経営ができる人がやればいい。

松:2017(平成29)年6月、オリジナルのクリアケースや化粧箱の製造会社である株式会社淀紙器製作所をM&Aでグループ会社化されましたね。今後、会社を息子さんに引き継いでいく中で、さらにとりくんでいきたいことってありますか?

 

尾:いま、戦後から昭和40年代に起業し、ひとつの役目を終えて廃業する会社がたくさんあるんですよ。時代の流れもあるけれど、大きな問題は「後継者不足」。経営者は廃業すればいいだけかもしれないけれど、そこには働き口を失って路頭に迷う従業員もいるわけです。今回はご縁があって、淀紙器製作所に美販グループの一員になってもらうことができました。おかげで、美販ができる仕事も少し増えた。これからも、自社だけで何かをするんじゃなく、同じ様な価値観・規模感の会社とアライアンスを組んだり、M&Aしたりしながら、仕事の幅を広げていけたら、会社が仲間を増やしていけたら、と思っています。

 

松:今回、弊社JAMSTOREの本社も、淀紙器製作所の1フロアに移転させていただきました。ハード面だけでなく、ソフト面も含め、できることを広げていってらっしゃる、という印象ですが、ここを強化していこう、というお考えというか、キーワード、みたいなものはおありなんですか?

 

尾:ハード・ソフト問わず「ものづくり」をテーマに展開していきたいと思っています。自分が分からないところ、専門外の領域に手を出すのは危険だけれどやってみたい。だったら、そのスキル・ノウハウのある人、会社と一緒にすればいい。かといって、あまり属人的なスキルに依存しすぎるのも問題があると思っています。誰か1人のスキルに頼りすぎず、組織同士がしっかり連携が取れる仕組みを作れたらいいな、と思っています。

 

そんな仕組みが作れたら、「社長」って存在はそんなにいなくてもいいんじゃないか、と。だって社長って大変ですよ、ホントは誰だってやりたくないはず(笑)。だったら経営は経営が得意な人がまとめてやって、みんなそれぞれが得意な仕事をやったほうが効率がいい。リスク回避もできる。会社がいくつもある必要はないと思っているんですよ。

 

松:とても共感します。経営者って少しいればいいですよね。経営者に求められる手腕・能力ってとても難しい。実際、社長になってみて私も自分の未熟さを痛感しています(笑)。知識・経験が多岐の分野に渡って必要ですよね。

 

「町工場を継ぐ」って、かっこ悪いかもしれない。
ただ、確実に面白い

 

尾:いまって、気軽に起業できる世の中じゃないですか。昔は元手を銀行から借りて始めるしかなかったけれど、この頃は投資などの新しい仕組みもどんどん増えて、事業を始める選択肢がたくさんある。そのせいか従業員の雇用を何とも思っていない会社が増えてきたような気がします。「こんな面白いことをするぞー!」って声をかけて、やりたい人を集める。とりあえず多額の投資金から給料を支払う。でもうまくいかなかったら、「はい、終了」と。「この事業は失敗。だから仕方ない」と割り切ってしまう。そんな印象で。

 

松:昔よりも事業のスパンが短くなっている感じはしますね。

 

尾:そうなんです。事業というより、プロジェクトのような感覚になっているような気がします。とにかく、いまどうするか、ということばかりが頭にあって、従業員のその後、ましてや10年、20年先なんてまったく考えていないところが大きい気がする。もちろん、すべてがそうだとは思いませんが。なんというか、ドンッとスケールするようなビジネスじゃないといけない、っていう流行のようなものも感じます。

 

松:私、先日とあるアクセラレーションプログラム(大手企業がベンチャー、スタートアップ企業に対してサポートや出資を行い、事業の成功を目指すことを目的とした募集)にエントリーしてみたんです。そこで気がついたのが、私たちのビジネスって投資家にとっては魅力的ではないんだな、ということでした。よくよく考えたら当たり前なんですが。受注を積み重ねて、売り上げを伸ばしていくビジネスだから、まったく「スケール」しない(笑)。そりゃ投資家には面白くないんですよね。だから私は起業ではなく、経営者を目指そう、と。

 

尾:投資を受けてから事業が10年以上続いてる会社って、まだまだ本当に少ないですよね。でも、決してスケールはしないし、ニッチで小さくやっているけれど着実に儲かっている、っていう町工場って実はたくさんある。淘汰される会社もあるけれど、自分の得意を見つけて生き残っているところは本当に成長している。私は、結構そちらに魅力を感じるタイプで。「町工場を継ぐ」ってかっこ悪い、っていう風潮は世間一般ではあると思うんです。でも、私は継いで良かったと思うし、仕事の面白さも、確かな手応えも感じています。

 

 

だからこそ、町工場の経営者としてもうひとつ重要な役目があるとしたら「美販という会社がここにあります」と、世の中にもっと知らせることかな、と。だって、まだまだ知られていないから、自分たちのためにも、町工場の可能性を伝えるためにも。だから、メディアに出て発信することも私の大事な社長業のひとつなんです。

 

松:これからの美販さんの展開、町工場の未来が楽しみですね。JAMSTOREも一緒にジョインさせていただきながら、面白いものづくりにチャレンジしていきたいです。

 

プロフィール|尾寅将夫

段ボールケースおよび美粧ケースをメインに、企画から設計、製造、販売までを一括で行う株式会社美販の代表取締役。品質、価格、スピード、そして顧客のニーズに合わせた多品種少量生産のスタイルが注目を集め、全国から取引の相談が相次ぐ。また、大学生とのコラボレーションで商品開発を行ったり、子どもの情操教育に取り組む東京大学先端科学技術研究センターのプログラムに参加するなど、会社の枠を越えて活躍の場を広げている。